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Lesson 12 – レクチャー編

受け継がれるもの

 

通訳者、とりわけ同時通訳をする通訳者が脚光を浴びるようになって久しいですが、昨今、テレビやYoutube で同時通訳の実演をして見せたりする通訳者たちがいますので、興味や関心を持つ人が増えているのかもしれません。と同時に、拙文をお読みの方の中には、果たして通訳という技能で身を立てることができるのか、という疑問やためらいを抱いておられる方もいられるかもしれません。

 

どんな「芸 (art)」の世界でも同じですが、食える人もいれば食えない人もいます。本格的な通訳という芸では食えないまでも、それに近い芸で生計を立てている人も少なくありません。

 

私は人生を振り返ってみて、初心 (an initial commitment) を貫徹できるかどうかはどんな「恩師 (a mentor)」に出逢うかが大きな意味を持つように思っています。

 

私のことを書けば、昔に通訳者をめざしたきっかけは、「直感」でした。はじめて出席した国際会議で同時通訳を聞いた時、これなら自分にもできる、という実感がありました。不遜に聞こえるでしょうが、まだ原石に過ぎなかった自分の才能を信じることができました。これが正直なきっかけです。素直な自分の直感を大切にしたほうがいい時があるものです

 

もちろん通訳の勉強と訓練には投資もしましたし、最大限の努力も怠りませんでした。アメリカのモントレー国際大学院  (現ミドルベリー国際大学院) で本格的に通訳を学び、トレーニングを受ける機会にも恵まれました。訓練は決して生易しいものではありませんでしたが、「継続できる力」を才能と呼ぶならば、素地の才能はあったことになるでしょう。その後、幸いにして、会議通訳者として仕事には恵まれました。転機が訪れたのは、國弘正雄先生との出会いでした。

 

國弘先生のご専門は文化人類学でしたが、時代が必要としたのでしょう、ご自身のお言葉を借りれば「たたき上げの通訳者 (a self-made interpreter)」としても活躍され、日本の通訳界のパイオニアのお一人でした。名著の翻訳者でもあり、日本の英語教育の惨状を憂い、英語教育の改革を喧しく唱えられました。また「ミスター護憲」という異名をとるほど現行の憲法を擁護され、元日本社会党参議院議員として、時の政権と対峙されました。

 

訳書の一部

 

 

國弘先生から旧態依然とした日本の保守政権に対する反骨の精神を私も受け継いでいることは確かです。もし先生が存命であれば、ロシアのウクライナ侵攻に便乗して、米国の核兵器を日本に配備して共同運用することを是とする安倍晋三の核共有論にどう反駁されるだろうか、と私は最近先生を偲びながら考えています。

 

私の専門は行動科学という学問であり、またアメリカ研究 (American studies) にも携わっていました。行動科学の観点からアメリカ人のコミュニケーション構造を研究するためにおよそ1年間をかけて、アメリカ38州を回ってフィールドワークを実施した経験があります。

 

その研究調査旅行から故郷のサンフランシスコに戻った翌年、國弘先生が日本の政治、経済、文化的諸事情をアメリカ人に伝えることを目的とした講演旅行で訪米されていました。そして私の大学に立ち寄られました折に、指導教授であったバーンランド教授から先生を紹介されてお会いすることになりました。そのときに先生は私のアメリカ研究のフィールドワークにたいへん関心を持ってくださり、先生からいろいろと有益な助言をいただきました。その頃からのご縁でした。

 

私が日本に戻ってからも先生には折に触れてお会いしていましたが、ある時、東京の大学で開催されたアメリカ人の政治学者の講演会で私が通訳を務めた時、わざわざ来てくださいました。会がはねてから私を鮨屋に連れて行ってくださり、その席で「通訳もいいけど、自分の歌をもっと歌いなさい」と大学で学生たちに講義することに身を入れることを勧められて、「大学でも教えて、通訳もやるという『二足の草鞋 (わらじ) 』をはけばいい」と先生はよく通る声でおっしゃったのです。

 

これは私自身、以前から考えていたことでしたが、ふん切りがつかずにいたので、敬愛する人からの後押しは威力がありました。

 

その後、自分の自然科学、社会科学、人文科学の知識が及ぶかぎり、もっぱら学者たちの講演会や講義で逐次通訳、同時通訳を務めました。

 

大学の教師という職があったので、意に染まない通訳の仕事は断ることができましたし、その分、自分でいうのは口はぼったいのですが、同じアカデミアの世界で活躍する学者たちの通訳は過不足なく通訳ができたと思っています。

 

通訳者が与えられる恩恵として、さまざまなおもしろい専門的な話が聞けて、自分の守備範囲以外の知識もどんどんと増えていきました。

 

さて、ここで國弘先生にまつわるエピソードをひとつご紹介します。

 

1970年代のことです。朝日新聞は國弘先生の通訳の「美技」が首相を助けた例を報じています。以下に引用します。

 

「一九七五年に訪米した三木首相の講演後、米人記者が質問した。『東京ジャイアンツをアメリカのチームにするように骨を折ってもらいたい』。首相は『私は野球が好きで...』とボソボソつぶやく。通訳にあたった國弘正雄氏が『なんでも(日本が)イエスというと思ったら大間違いです。野球はもはや日本の国技、あえて強くノーと言わせてもらいましょう』とやって米人記者のかっさいを浴びた。むろんお遊びの質問だと承知した上でのお遊びの『誤訳』だったが、このひとことで三木さんの株は上がった。

國弘氏は日米の発想の差を鋭くえぐったその著『英語思考と日本語思考』の中で、しみじみのべている。立場やイデオロギーの異なる人間同士では、何から何まで合意できるわけはない。わずかに可能なのは、どの点でどう利害や見解が異なるかという認識で、どうやら一致をみる程度である、と。合意点をきわだたせることよりも、不一致点を明確にし、時にはあえて強くノーという。日米外交にいま最も肝要なのはこのことではないか」

 

 

「合意点をきわだたせることよりも、不一致点を明確にし、時にはあえて強くノーという。日米外交にいま最も肝要なのはこのことではないか」− これは50年以上の時を経た現在でも変わってはいません。

 

國弘先生はこの記事で紹介されている記者会見という「外交の見せ場」を十分心得ておられたのです。三木首相との信頼関係の上に成り立った通訳者の「美技」であることを忘れてはいけないと思います

 

現在、私は國弘先生の対談、講演等の古いカセットテープのデジタル化を進めています。テープは劣化してやがて聞けなくなるおそれがありますので、日本語による講演や英語による講演を後世の人たちにもぜひ聞いてもらいたいという思いから、この作業に取りかかっています。

 

ネイティブらしい英語発音や英語の喋り方だけがもてはやされる軽薄な時代にあって、先生の対談や講演は、日本人が英語で「語る」とはどういうことなのかを示す具体的な良いお手本であると私は考えています。

 

先生の英語力について、「外国語としての日本語教育」の先駆者のおひとりであったコーネル大学のエレノア・ジョーデン博士 (故人)は以下のように述べておられます。

 

「(初めて國弘正雄氏とお会いした時)彼の英語のみごとさに深い感銘を受けたのを覚えています。(中略)英語が話されている環境で生まれ育った者が英語を自在に使いこなすのは、別に珍しいことではありませんが、國弘先生の英語は日本において習得されたものであり、その意味ですばらしさの限りでした」(「國弘正雄自選集4」より)

 

戦中に英語という外国語を学習し始めた先生が、まともな英語教材など望むべくもなかった戦後焼け跡の日本で、英語習得へ向けられた努力は尋常なものではなかったことは容易に想像できます。しかし、現在の英語学習者には励みになることですし、同時に貴重なヒントになります。関心が英語という語学だけに留まっていたのでは、すぐに行き詰まり、通訳または仕事で求められる次元で英語を運用できるまでにはならないのです

 

イクサス通訳スクールで通訳の訓練を受けている受講生の方たちは「通訳という仕事」につきたいと思っている方が多いです。通訳の仕事というのは様々な形で行うことができます。プロとして通訳だけを専門にすることもできれば、企業や省庁の中で通訳を務めることもできますし、コミュニティーのボランティアとして医療などの現場で通訳者として貢献することもできます。

 

形はどうであれ、通訳するという仕事を軽んじず、正しい訓練をきちんと受けて、やるからには通訳者として立派に人の役に立つことこそが、正しいあり方だ、と私は考えています。これを読んでくださっている方で通訳というスキルを学び、コミュニケーションという社会の大事な分野で貢献したいとお考えの方は、ぜひ訓練にいらしてください。私が恩師から学んだことを今度は私から新しい時代に生きるみなさんにバトンタッチしていきたいと思って通訳教育に取り組んでいます。教育とは受け継がれていくべきものなのです。

レクチャー編 (完) ― Jay Hirota

*國弘正雄先生の英語発話の一部をウエブページから聴くことができます。

https://ichthus.interpreter.co.jp/company/

 

日本人のための通訳レッスン (レクチャー編) Lesson 11

 

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