Ichthus School of English イクサス通訳スクール

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前回からの続きですが、NHKが平川唯一氏が担当する「英語会話教室」の放送を始めたのは昭和21年の2月でした。昭和20 815日、昭和天皇が「玉音放送」によって、日本がポツダム宣言の受諾を連合国側に通告したことを国民に公表して、終戦を迎えました。それから半年後のことだったのです。

私の父は大正生まれで、母は昭和一桁生まれでした。両親にも両親の友人知人にも平川氏の「英語会話教室」のことを尋ねたことがあります。全員が放送のことは知っていましたし、その「たぬき囃子」のテーマソングや歌詞まで覚えていました。母の友人の中にはテキストを入手して英会話のフレーズをラジオを聴きながら口ずさんでいたという人までいました。皆さん口をそろえて当時「カムカム英語」として知られたその英会話番組がたいへん人気があったと証言しています。

その人気の理由は、平川氏自身が番組の冒頭で語っている点につきると思います。お聞きください。

 

[平川氏の番組を聞く]

 

勉強の対象として習う英語と違って生きた言葉には何ともいえない楽しい味がありますね。その味は、果たしてどんなところから出てくるかをよく突き止めていただきたい」

平川氏のこの言葉は、今でも「英会話」の広告コピーとして使えそうです。英会話は「学校英語とは違う生きた英語を楽しく学ぶ」ものだというイメージです。放送のパートナーは英語ネイティブであり、彼が英会話の簡単なフレーズをゆっくり発音します。まったくの初歩の会話で使われる日常のあいさつの英語表現が覚えられるように構成されています。こういう英会話の表現を少し覚えておくだけでも日本にいる「アメリカさん」と言葉が交わせると思った、と母は回想していました。この放送を聞いていた多くの当時の日本人も母と同じような気持ちでいたのだと想像できます。

“Hello” だけでも「生きた言葉」としてラジオの英語ネイティブの後について発音し、覚えておけば「アメリカさん」に声をかけられる。そしてもし英会話の学習者が「アメリカさん」に出会うことがあって、”Hello!”と声をかけて、むこうから笑顔で”Hello!”と返事が返えってくれば、自分の英語が通じたわけで、英会話を学んでいる日本人は強烈な感覚を味わうのです。

そこにはささやかながら「何ともいえない楽しい味」があるのです。この刺激に応えて英会話の簡単フレーズをどんどんラジオから覚えるようになる。初歩の会話場面はほぼ想定できるわけですから、手っ取り早くて便利な会話の決まり文句 (set phrases) を丸暗記して口から出す。学校で教わる英文法とは無関係に思える次元でのほぼ無意識の言語操作に夢中になる人もでてきます。

”Where are you from? (ご出身はどちらですか)     想定の返事は “I’m from New York.”

ところが相手が “Where are YOU from?” と聞き返してくれば、

初心者の多くは「私は地元のものです」とは英語で言えません。決まった型のあるもの以外は質問されても答えられないのが一般的です。問いかけるのは質問文を増やしていけば幅は広がります。

“How do you like it here? (ここはいかがですか)

この表現を覚えておけば気軽に英語話者に声をかけられるでしょう。この際、相手の返答の内容はどうでもいいのです。

想定では “I like it here very much.” と相手は答えることになっています。しかし実際には、

“I’m afraid I don’t like it here because things are very expensive. I’m living on a shoestring budget, you know.”

(残念ながらここは物価が高いので好きではありません。なにせ切りつめた生活をしていますのでね)

と相手が言ったとしても質問した人は、笑顔でうなずいているかもしれません。

内容を要求する質問には無反応か低次元の応答しかできないことがほとんどです。私が長年のアメリカ生活から日本での生活に戻った時、日本在住の外国人に共通の質問をされたことを覚えています。

「日本人はどうして同じような質問しかしないのか」

「私に質問するくせに、どうして私の質問には答えてくれないのか」

「日本人は考えることが苦手なのか」

外国人に声をかけるのは今も昔も大方はいわゆる「英会話マニア」のような人たちです。英会話は英語嫌いを治す対処薬になるかもしれません。外国人に声をかけたり、何かたわいのない短い会話を交わすという「楽しい味」があるからです。が、手っ取り早い便利さだけを求める勉強はすぐに底が見えてきます。あきてくるのです。そういうふうに考えてみたことはありませんか

昭和21年に始まり、人気を博した平川氏の「英語会話教室」は昭和262月に終了しました。戦後半年で起こった英会話ブームの熱は、焼き立てのピザが冷たくなるように冷めていったのです。

昭和天皇の「玉音放送」を流したラジオから、半年後には英会話番組が聞こえてきたことは驚きですが、戦後すぐの英会話熱があっという間に冷めてしまったことには驚きを感じません。日本を取りまく情勢は、現実は英会話のレベルと認識をはるかに超えていたからです。

読者の皆さんは、「玉音放送」が即座に英語に翻訳されてNHK国際放送で流されたことをご存知ですか。その翻訳と朗読を担当されたのは平川氏でした。そのほかにも英語で世界に向けて放送されました。玉音放送のことはアメリカの主要新聞である The New York Times に掲載されています。

ちなみに、現代の日本の政治家たちは、自分たちの発言が英語になって海外に報道されることをもっと認識しておくべきだと思うことがしばしばです。コミュニケーション音痴が多いことは戦前から変わっていないような気がします。

玉音放送は、英語では “The Jewel Voice Broadcast” と呼ばれました。昭和天皇のあの難解な日本語をラジオで聞いて、果たして当時の国民が内容をすべて理解できたのか興味があるところです。

どうしてもっと平易な言葉で大事なことをわかるように語らなかったのかと思ったことはありませんか。日本人の当時のコミュニケーションのあり方がうかがえます。今の日本人のコミュニケーションへの考え方は、その頃から変わっているのでしょうか。

わずか75年前の国語ですが、今では現代語訳をつけないと若い人たちには理解しづらいでしょう。玉音放送の出だしはこうなっています。

「朕(ちん)、深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なるなんじ臣民に告ぐ。
 朕は帝国政府をして米英支蘇(べいえいしそ)四国(しこく)に対し、その共同宣言を受諾する旨(むね)通告せしめたり」

<現代語訳>

 私は深く世界の大勢と日本の現状を考えて、必要な措置をとって事態の混乱の収束を図ろうと思い、忠義で善良であるあなた方、国民に告げます。
 私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連の4カ国に対しその(ポツダム)宣言を受諾することを通告させました。

[英語の玉音放送を聞く]

 

The Jewel Voice Broadcast

To our good and loyal subjects:

After pondering deeply the general trends of the world and the actual conditions obtaining to our empire today, we have decided to effect a settlement of the present situation by resorting to an extraordinary measure.

We have ordered our government to communicate to the governments of the United States, Great Britain, China, and the Soviet Union that our empire accepts the provisions of their Joint Declaration.

英訳では「朕(ちん)」は複数の We になります。天皇や国王のような人物をあらわすのに複数代名詞を用いる場合があります。

 

[玉音放送を聞く国民]

 

 

アメリカのテレビ局も玉音放送 (the Jewel Voice Broadcast) をニュースの中で英語版を流しました。新聞にも取り上げられました。日本の「天皇」がもはや「神 (god)」ではなくなったこと (The Emperor is “de-godded”) が伝えられたのです。

[ニューヨークタイムズ]

 

昭和20年、太平洋陸軍総司令官のダグラス・マッカーサー元帥が連合国軍最高司令官に就任し、同年10月に総司令部が東京に設置されます。司令部が急遽必要としたのは戦後処理の実務的な仕事を行うために働いてくれる優秀な通訳者たちでした。この頃に仕事をしていた有能な通訳者たちが戦後の日本の通訳者たちの草分け的存在になっていきます。

巷には「アメリカさん」たちの姿が目立つようになり、戦中は鬼畜と呼ぼれたアメリカさんたちを日本人はすぐに受け入れ、それどころか彼らの愛想のよさに好感を持ち、あこがれさえ抱き、英語で声をかけ、あいさつを交したいという思いから、にわかに英会話ブームが起こったわけですが、そのブームは先に書いたように、わずか5年ほどで終焉を迎えました。この後、昭和26年からNHKラジオに、戦後二番目の英語会話番組が登場するのです。そして松本享氏が講師を務めたその番組は21年間続くことになります。初代の番組と一体何が違ったのでしょうか。

[次回につづく]

(Jay Hirota)

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