英語学習を見なおすヒント Episode 4 松本享 「英語で考える」 (2)
前回の続きですが、昭和26年からNHKラジオ放送で松本享氏担当の「英語会話」が始まりました。昭和47年で引退されるまで、21年の長きにわたって松本氏が伝えたかったことは何だったのでしょう。前回書いたように、松本氏はアメリカの神学校で教育を受けた牧師であり、教育博士号を取得した教育者でした。21年間のラジオ「英語会話」の放送を続けておられる間から、その後も英語習得の「福音」として「英語で考える (Thinking in English) 」を提唱してこられたことで有名です。
[松本享氏の声 (英語)]
松本氏の生の言葉を繰り返し引用します。
「私達『日本語国民』が外国語である英語を学ぶ時に痛切に感じることは、日本語と英語に現れてくる物の考え方の根本的な相違である。-省略- その相違を承知していて、気を悪くしないことです。ただし始終英語で物を考えていると、段々そういう習慣がついてきて、つい日本語で話している時も英語式の考え方をするようになります」(強調は筆者)
読者の皆さんも、果たして日本にいる日本人の英語学習者が「英語で考える」なんてことができるのだろうか、と疑問に思われる方もいられるでしょう。実際、英語習得学習における「英語で考える」メソッドに対する疑問や批判もあります。通訳者であり文化人類学者であった私の恩師の國弘正雄氏は『國弘正雄自選集ー語学のすすめ』の中でこう述べておられます。
「世の中には、Thinking in English 英語で考えるなどと、唱える外国人がおりますけれども、私は、あんなものは神話に過ぎない、その神話をどうやって破ってやろうかと思っている一人であります」
ここでの発言では、國弘氏は「唱える外国人がおります」と言われているだけで、松本氏個人を指しているとは言えませんが、松本享氏もその批判の対象に入っていたことを私は直接聞いたことがありますので、知っています。國弘氏が「英語で考える」を受け入れ難かった理由は、氏が有能な通訳者であったという事実が大きく関係しています。私も通訳教育の専門家という立場からは、日本で生まれて日本だけで大学までの教育を修了した者が英語ネイティブのように「英語で考える」ことはやはり困難であろうと思っています。
もちろん、ここで問題にすべきことは英語で「何を」考えるかです。極々日常的な事柄、例えば「お腹がすいた」とか「旅行がしたい」とか、そういうレベルのことを考えるのならば、英語の単語と構文を知っていれば考えた結果を表現できるでしょう。しかし、日本生まれの日本育ちの日本人が英語をかなり勉強したからといって、日本語でも普段考えたことのないような高度に抽象的な事柄、論理的な事柄を英語で考え、書くにしろ話すにしろ、その「考えの結果」を英語で達意に表現することは不可能に近いと個人的には考えます。
通訳教育の専門家としては何よりも「母語」を、どの程度理解でき運用できるか、を最大限に重視するからです。日本人だからというだけで、教育も受けず訓練も受けず、自然に母語である日本語を高いレベルで習得できることはありません。これはどの言語についても同じです。そして母語で考え、発言できないことは、当然、外国語では考えられませんし、表現もできません。したがって、通訳というコンテクストでは、ヨーロッパの会議通訳者たちは通常 (例外的なケースはありますが)、外国語から母語へ、あるいは第二言語から第一言語へとしか通訳をしません。
しかしながら、私は松本氏がラジオ「英語会話」の放送で21年間にわたって提唱された「英語で考える」という「福音」を英語教育に有害な「邪教」だとは思っていません。松本氏が「英語で考える」という学習方法を多くの日本人の英語教育者が活用できるように体系立てて理論化されなかったことは残念です。宗教で言えば、「教義化」されていないという印象を受けます。
松本氏の言葉を著書『英語で考えるにはーそのヒケツと練習』から引用します。
「私は日本の英語教育界に『英語で考える』ことを否定したり疑ったりする人のいることを知っている。その人たちは、私の考えに挑戦しているようだが、私は彼らに対しては、こうひとこと答えるだけである。『私は英語で考えるし、英語で考えることのできる日本人もたくさん知っている。別に騒ぐことではない』」
「私も成人するまでは、日本語を主体に生活していた。たまたま学生の時アメリカへ行き、太平洋戦争にぶつかって帰国がおくれたなどの理由で、英語国の生活が長くなった。その間、ずっと英語で暮らしていた。帰ってからは、日本語と英語で生計をたててきた。以上のことは、何をいみするかというと、日本語の環境の中で成人したものでも、必要に応じて他国語に切り替えることができるということである。日本人は到底、英語では考えられないという人の理論は、成人した日本人のことをいっているらしいが、これも、人間の環境に対する適応性を軽視しすぎているきらいがある」
私が読んだ松本享氏に関する「史料」では、私からみれば、氏はとても英語を学ぶ日本の平均的な学生であったとは言い難い。語学的才能に恵まれ、何よりも英語習得に一途に熱心であったと言えます。氏の英語学習法をそっくり真似できる学習者はかなり少数派でしょう。
『英語と私』という著書の中でこう述べておられます。
「正しい英語が、自然に口から出てくるようにできないものだろうか。Intellectually (意識的に) 正しい英語をしゃべっているうちは、自然なものではない。Automatically (自動的) に、そしてもっと極端にいうならば、喧嘩の最中のように、逆上したときでも、また夢をみている時でも、すなわち寝言でも、英語でいうようになれないものだろか。別に、アメリカ人になろうというのではない。英語というものを、母国語と全く同様に使いこなす技術を身につけたいものである」(強調は筆者)
明治学院高等学部英文科で学んでいた頃の松本氏の英語習得への強烈な熱意が綴られています。そして松本氏は長い時間をかけて英語を「母国語と全く同様に使いこなす技術」を習得されたのです。これはもう英語への強い執着 (obsession) といってもいいでしょう。氏が明治学院高等学部に在学中に、徹底的にエネルギーを傾注したことはスピーチと英書を多読することでした。スピーチは英語ネイティブの教師たちから発音やジェスチャーの指導を繰り返し受けて、全国レベルの英語スピーチコンテストでは、名スピーカーと評価されるまでになっています。英語の読書も生半可なものではなく、乱読多読を重ねていくうちに速読する力がつき、読むスピードが伸びれば読む英書の冊数も増えていき、十代で「一年間に百冊くらいは読んだ」と書いておられます。こういう重圧な一途な努力が「英語で考える」という前提であるのならば、昨今の偽りの楽しさ、気楽さを宣伝する「英会話」ビジネスの軽薄さとは、同じ英語習得への挑戦であっても雲泥の差があったことは明白です。
歴史的に見れば、松本氏は、大正時代から昭和の初期にわたってアメリカのポップカルチャーが日本に流入した時代に青春を送った学生でした。この事実を無視しては、彼がラジオの「英語会話」の放送を通して伝えたかったメッセージは違ったものになっていたと想像しますし、「英語で考える」という福音宣教には至らなかった気がします。前回も引用しましたが、これは松本氏の意義ある発言なのでもう一度引用します。
「私達日本人は、感情を外にあらわさないことがよいと教えられてきました。そのためか日本語でさえも、意思の充分通じないことが時にはありがちです。英語を話す人達、特にアメリカ人は、逆に、自分の気持ちを素直にあらわすことを当然のことと考えています。率直に気持ちをあらわして、自分もせいせいする代わりに、人の正直な意見も尊重してきく習慣をもっています。この気持ちが、英語にそっくり出てくるのは当然すぎるほど当然なことです」
そして自分の意見や考えを述べるには「勇気」がいるのだ、ということを英語放送を通して教えられたのです。氏の思想の根底にあったものは、異なる意見や考えに臆することなく、自分が正しいと信じることを発言すること。その自由が保証されている「民主主義の理念」だった、と私は結論づけます。
ラジオ「英語会話」に掲載されたあるリスナーからの投書を引用します。
「皆さんは英語を勉強している。英語に夢中になっていると言いながら、もっともっと深いものを求めておられる。端的に申しますと、松本先生を慕われ懐しまれている。松本先生の人格を作っているその奥にあるものをのぞこうとしておられるのではないでしょうか。それでこそ松本先生も喜んで放送なさっているのだろうと推測する。皆さんは英語英語と言っていらっしゃるけれど、英語をとおしてもっと深いものを求めていらっしゃる。それが英語学習の目的でしょう」(強調は筆者)
これはラジオ「英語会話」を学び続けた松本享ファンの声を代表するような文章だと思います。「英語で考える」という福音を信じ続けて努力をされていた英語会話の学習者にとって、松本享という人物は英会話の講師という存在を遥かに超えた英語教育の宣教師であり、「英語を通してもっと深いもの」を教えてくれる先生であった、というのが私の偽らぬ感想です。
私は松本享氏の宣教師的な信念に敬服します。放送講師をやめられた後、「英語で考える」を実践する氏の「教会」とでも呼ぶべき学校を設立されました。松本高等英語専門学校。ここでは、実用英語からは程遠いと見なされている日本の「受験英語」にまで「英語で考える」を当てはめて、氏の信念に根ざした英語教育が行われていました。今は亡き松本享氏の信念の「福音」を受け継いで教育を続けている教育者たちがおられることは、同じ教育者として実に素晴らしいことであると思っています。
[次回につづく]
(Jay Hirota)