「悩める」企業通訳者のための通訳レッスン Lesson 1
Lesson 1
イクサス通訳スクールでオンライン・レッスンを受講されている方の70%ほどは、企業内で通訳者として働いている方たち、または通常業務のかたわら通訳の仕事をしているという方たちです。通訳の仕事をするのに通訳学校で通訳の訓練を受けた人たちもいれば、会社で通訳をするまでは通訳の勉強はしたことがなかったという人たちもいます。
通訳する内容や求められるスキルレベルは、企業や業種によってさまざまです。しかし、多くの場合、通訳をする際に、会社から提供される背景情報が少なすぎる、という悩みをよく聞きます。極端なケースでは、英語から日本語に、日本語から英語に言葉を転換しているものの、内容については専門的すぎてよく理解できないまま、機械的に通訳しているので虚しさを感じると訴える人もいます。
事情は違っても、あらためてオンラインで通訳の訓練を受けようと決心された理由でいちばん多いのが、自分の通訳能力に「伸び悩み」を感じているため、なんとか打開したいというものです。
ではなぜ、企業で通訳している人たちの中で、伸び悩みを実感される人が多いのでしょうか。このシリーズでは、私の通訳者としての体験と通訳を長年教えてきた経験から、その原因と解決策のようなものを提示していきます。
具体的に通訳練習のやり方や練習問題もつけようと思っています。
端的に言えば、一般的に企業内で通訳をしている人たちは、会議通訳者 (a conference interpreter) のような、いわゆる「プロ通訳者」ではありません。日本の場合、ヨーロッパの制度とは違って、プロの会議通訳者に与えられる正式な「資格」や「認定」のようなものは存在しません。そういう意味では、お金をもらって通訳の仕事をすれば、誰でもいちおう「プロ」だ、と言えなくはありませんが、やはり会議通訳者とははっきり区別する必要があります。
会社内で他の業務もやりながら、要請があれば通訳もするという人たちや、派遣会社から派遣されて通訳と翻訳の業務を請け負っているという人たちは、会議通訳者ではないのです。
では、会議通訳者とはどういう通訳者かといえば、専門家が集まる国際会議や政治的な話し合いが行われるサミットなどで、同時通訳が必要な場合におもに活躍する通訳者たちです。
会議通訳者の中には、スイスのジュネーブに本部のあるAIIC(国際会議通訳者協会)に所属している人が多くいます。
教育としては、大学・大学院レベルで通訳の専門教育を受けている場合が多く、フランスの ESIT(パリ通訳翻訳高等学院)や、アメリカのミドルベリー国際大学院モントレー校(旧モントレー国際大学院)などで通訳学の修士号や博士号を取得していて、技能・知識において高度な専門性を持っている人たちが会議通訳者になるのです。
少し遠回りになりますが、私の通訳学習経験を書きます。もう大昔のことになりますが、私もアメリカのモントレー国際大学院 (現・ミドルベリー国際大学院) で通訳を学びました。この大学院の特徴は学生の語学能力が高く、訓練のレベルが高く、厳しいことです。
その特徴は現在も変わりません。受験生は、入学試験として、LST (Language and Skills Test )という言語能力を測定するテストを受けます。英語とそれ以外の言語、例えば、日本語、フランス語、ドイツ語、中国語などで、双言語間の切り替え能力、感情表現能力が試されます。また、「訳す」という力よりは、ニュース・コメンタリーなど読んでその内容を、口頭で「要約」できる力、聴いた情報を自分の言葉でまとめる力が求められます。
使用言語は、A 言語, B 言語, C言語 と区別されています。
A 言語:母語、つまり「第1言語」のこと (私の場合は日本語)
B言語:母国語以外で初めて学んだ言語、「第2言語」(私の場合は英語)
C言語:B言語よりは使用頻度は少ないものの、読んだり書いたりはかなりできる「第3言語」
ヨーロッパの会議通訳者たちは、
B 言語→A 言語、
C 言語→A言語
という具合に、「第1言語」へ向けて一方向に通訳することがほとんどですが、モントレーの通訳修士課程では双方向でトレーニングされました。
私のモントレーの経験では、実技的な訓練だけではなく、通訳理論を学び、知識を深めていけました。高度な内容を扱う会議通訳者には欠かせない「教養と知的レベル」を高める授業があったため、専門会議の通訳の準備ができる「下地」ができるように、カリキュラムが構成されていたことを覚えています。
従って、学位認定されて課程を修了すれば、実務経験はないにしても(すでに通訳の実務経験がある人たちもいましたが)、単に外国語が上手に話せるレベルではなく、本格的な通訳者になれる能力が備わったのです。
さて、日本の企業の通訳に話を戻します。
例外はあるにしても、日本国内の場合は、ヨーロッパなどの多文化、多言語地域とは異なり、英語教育後進国の特有の現象が起こります。
私の知っているドイツの数社の企業では、特に「企業内通訳者」というポジションはありません。あるドイツの企業の場合、例えば、イタリアやスペインの会社から商談や交渉のために人が来社すれば、多くの場合、ドイツ人は、イタリア人やスペイン人と、共通語として英語で話ができます。特に外国と取引のある企業では、社員はほぼみんなが商談や交渉ができる程度の英語コミュニケーション能力は持っています。この点が日本国内の企業と大きく異なります。
例外はあるでしょうが、大方のケースでは、もし日本の企業の人たちが商談や交渉が英語でできるくらいのコミュニケーション能力が備わっていれば、わざわざ企業通訳者という人を介在させる必要はなくなります。
言い換えれば、日本の企業内の通訳者という人たちは、ヨーロッパなどの企業では、ほとんどが不要になる可能性があるのです。
社内通訳はレベルが低いとか、価値がないということではなく、グローバルな視点で見れば、日本の企業だから成立しているポジションである、と私は考えています。
しかし現実は、日本の企業には社内通訳者たちが必要なわけです。そして、企業の中だけで通訳している人たちの通訳力が「伸び悩む」という問題が起きていることも事実です。
次回から、その理由を考察して、打開策や基本に立ち返った通訳の練習方法をご紹介していきます。(つづく)