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Lesson 8-レクチャー編

リスニング 聴くということ

 

 

* これは以前に掲載した原稿に大幅に加筆して、新しくしました。この連載の後の「実践編」には、具体的な通訳練習の方法を新たに書いていきます。まずは「レクチャー編から」どうぞ。

 

 

私は以前、大学のゼミの学生たちに「考える」という習慣をつけるように意識的に指導して来ました。その教授姿勢は今でも変わりません。物事の成り立ちや人間行動の「根本」にあるようなものをあらためて考えてみることは、一見遠回りに思えますが、実は何かの目的や目標を達成するうえで大変「実用的」な手法なのです

 

通訳という作業を人間のコミュニケーション活動の延長線上にのせて論じられたのは、故・斉藤美津子博士 (元国際基督教大学名誉教授)でした。斉藤博士のお名前とご研究については、私の恩師のひとりであった、母校の Dr. Dean C. Barnlund (ディーン・バーンランド)博士から、まだ学生だった頃にうかがいました。博士の論文、ご著書も読んでいました。

 

斉藤先生もバーンランド先生も、私の記憶に間違いがなければ、お二人ともアメリカのノースウエスタン大学大学院でコミュニケーション学を修め、博士号 (Ph.D) をお取りになっています。

 

斉藤先生は日本におけるコミュニケーション学の草分けであり、また会議通訳者の本格的な養成にも大変貢献されました。今は絶版になっていますが (図書館や古書で入手可)、先生の *『きき方の理論』(サイマル出版会)は通訳だけでなく、コミュケーションに関心のある方はぜひ読んでいただきたい、大変示唆に富む本です。

 

 

コミュニケーション研究の専門家であった斉藤先生は『きき方の理論』の中でこのように書いておられます。以下引用。

 

「『聴く』ということは簡単にできることではありません。その最初の段階として黙ること集中して最後まで聴く訓練をすることです。耳だけで聴くのではなく,目も,口もすべての感官を総動員して体全体(全身)で話し手に協力する ことです。つまりこれが自分を忘れ,相手を受け入れる訓練で積極的な聴き方の根本的な態度です。努力と忍耐。この二つがなければ,積極的な聴く態度は身につきません。生れながら与えられた能力ではないからです」(下線筆者)

 

聴くという能力は「生まれながら与えられた能力ではない」という一節を意外に思われる方がおられるかもしれません。もの音や人の声は自然に聞こえてくるではないか、と。確かに耳という器官に故障がなければ聞くことはできるので、特別つきつめて「考える」人はあまりいないでしょう。

 

斉藤先生は「本聞き」と「半聞き」という表現を使われています。以下引用。

 

「積極的な聞き方をする人は, 即座に温かい建設的な反応を送り手に送る。その結果,送り手は勇気づけられ,コミュニケー ションを続けていこうとする元気がどこからともなく生まれてくるのを感じる。反面,半聞きしている人々は,送り手を落胆させるだけでなく,送り手のコミュニケーションを続けようとする努力を阻害する」

 

「半聞き」とは、簡単にいえば、おざなりな聞き方です。人間は日常の生活の中では、他人の話は (特別な理由がない限り)真剣に聞いていないことがしばしばです。私たちには自分の聞きたいことを聞きたいようにしか聞かない傾向があります

 

しかしこれは、大げさにいえば、生物としての防衛本能ともいえなくもないのです。

 

人間の注意は拡散するようにできています。街路を歩いていて、もし人の話を聞くことにだけ集中していれば、何かにぶつかって顔にケガしたり、転んで足をスリむいたりするかもしれません。交差点を渡っていれば、車にはねられる恐れもあります。そのため注意は周りに散らばるようになっているのです。

 

それに対して「本聞き」とは、「積極的な聞き方」のことをいいます。斉藤先生の言葉を借りれば、「自分を忘れ,相手を受け入れる訓練で積極的な聴き方」ということになります。この聴き方こそが通訳者が訓練を通して身につけなければならないリスニング能力なのです

 

よく英語学習の広告文句に「英語のシャワーを浴びる」とか「英語耳を作る」というのがあります。余談になりますが、近頃は耳だけではなく、英語脳、英語舌、英語喉、英語口、英語声などなど、英語と人間の身体器官をくっつけた言葉がやたらに英語学習の宣伝に登場していますね。

 

ここまで来れば、もういっそのこと日本人の英語学習者はアメリカ人やイギリス人に生まれ変わったほうが早い気がするほどです。

 

第二言語習得の点からは、こういう言い方はやや乱暴ですが、アメリカに行けば、ならず者でも英語脳で悪事をたくらみ、英語舌でゴロをまき、英語喉でアヤをつけ、英語口で恫喝しています。

 

脳があってもまともなことは考えられず、耳があっても賢者の言葉は聞こえないのでは、人間として悲しすぎます。

 

通訳訓練の重要な部分は英語と日本語の「精聴」です。日本人だからといって、日本語の発話を正確に、聞けるというのは思い上がりだと思っています

 

日本語のリスニング・トレーニングをなぜ国語の授業で小学生から徹底して行わないのでしょうか。なぜリスニングといえば英語から始めるのでしょう。内容のある話を聴いて分析する能力は教育によって養われます

 

私は長年大学で教えてきましたが、大学生の中には日本語の講義を最後まで積極的に聴くことができない学生たちが少なくありません。が、一概に怠け者と責められないのです。日本の学校教育において、「本聞きの訓練」を受けたことがないことも原因のひとつです。これも日本の言語教育の杜撰(ずさん)さを物語っています。

 

長時間通訳をすると、私の場合、(前にも書きましたが)「脳が乾く」感覚におそわれます。それは通訳をするためには、「聴く」ことに集中力を限界ギリギリまで高める必要があるからです

 

この聴くとう行為には、発言を「解釈する」ことが含まれます。そして日本語や英語という別の言語に「転換する」ことがともないます。が、通訳の起点は常に「本聞き」にあるのです聞き流しやいい加減な聞き方でできる仕事ではありません

 

したがって、普段の通訳訓練では、英語を聞き流しているだけでは決して「本聞き」のために必要な集中力は養えないと言えます。聞いた言葉を解釈する思考力も培えません。「英語のシャワーを浴びる」とかいうと聞こえはいい (have a nice ring to it) ですが、実 (substance) が伴っていないのです。

 

自宅にいるときは、ずっと CNN の英語放送をかけっぱなしにしています、という受講生がいましたが、通訳の訓練としてはあまり効果がないと思います。おそらく「半聞き」状態にもなっていないはずです。言葉のBGM、ないしはホワイトノイズでしかないと私は思います。(通訳訓練と英語学習の混同は禁物です)

 

では、通訳の訓練に必要なリスニング訓練とは何でしょうか。何をどのような方法で聴けば、実のある訓練になるのかを次回考えていきます。(つづく)

- Jay Hirota

 

* 『きき方の理論』はAmazonで入手できます。

 

日本人のための通訳レッスン(レクチャー編) Lesson 7

 

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