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Lesson 10  - レクチャー編

国語力とサイトトランスレーション

 

今回は、通訳でいうサイトトランスレーションについて触れます。その前に、通訳者志望の方の「国語」の力について考えてみましょう。

 

通訳者も翻訳家も共通して日本語が商売道具 (a tool for trade)であることは間違いありません。私のこだわりですが、日本人の場合は「国語」と言うべきだと思います。ですから、小、中、高の学校では「日本語」という授業は通常なく、国語の授業です。外国人が通うが「日本語学校」ですね。

 

通訳者や翻訳家を目指されている人たちは、みずからの英語力には多大な関心を持っておられるが、国語力にはさほど興味がないように思える方もおられます。

 

「今の英語力で通訳者になれますか?」という質問は聞きますが、私の「国語力」で通訳者をめざせますか、と尋ねられたことは実は一度もありません。

 

「それは当然でしょう、日本人なんだから」と突っこまれそうですが、最初に書いたように、通訳者にとっては国語は立派な商売道具ですから、常日頃から磨きをかけておく必要があります。

 

通訳という職業に関心のある人たちだけではなく、ほとんどの日本人は自分の国語力をあまり気にしていないようですね。学校で国語の試験を受けたり、入社試験で小論文を書いたりする場面を別にすれば、国語は日本人なら自然に備わっている言葉とみなしているので、大抵の人は気にしないのでしょう。

 

「大村はま記念国語教育の会」の刈谷夏子さんは、『ことばの教育を問いなおす』という本の中でこのように書いておられます。以下引用。

 

 

「国語力は、ありがたいことに『いつの間にか』身についていたという部分がかなりあります。(中略) 母語であればこそです。育っていく過程で、本人が勉強ともなんとも思わないうちに母語の基本を習得できていた、というのは考えてみれば幸せなことです。ただ、だからこそ、国語力というものはしばしば無意識の領域に置かれ、空気のような存在といっていいかもしれません。日常の用が足りているだけに、当然視され、放っておかれがちです」

 

よほど何か特別な理由がない限り、日本人ならば「日常の用が足りている」のだから、ことさら国語力を向上させる労をとる人は少ないのではないでしょうか。

 

私は、といえば、アメリカでほとんどの高等教育を受けて、アメリカで市民権を取得しました。アメリカの母校の大学で教鞭をとり、やがて日本に戻ってきた頃は、かなり自分の国語があやしくなっていました。アメリカにいる間は、英語 (アメリカ語)だけで生活をしていたので、そういう結果になったのも当然といえば当然なわけです。

 

このブログは日本語で書いていますが、書くものによっては (自分の専門分野の論文などは) 今でも英語で書くほうが楽ですし、早い場合があります。

 

日本で通訳の訓練を本格的に始めるようになって、はじめて自分の国語力の弱さに気づきました。それから毎日、まるで昔習った外国語を学び直すように、猛然と国語のやり直し教育を自分に課して、古典から現代小説・評論にいたるまで、漢和辞典と国語辞典をそばにおいて、ひたすら読みまくりました。落語もわざわざ寄せまで行ってよく聞きました。日本の映画も古いものから新しいものまで暇があれば観るようにしました。

 

それでも日本で通訳の訓練を受けていて、国語をまだまだ緩急自在にあやつれないことへの不安がなかなか払拭できなかったのを覚えています。「放っておいた母語」に磨きをかける努力を独りでつづけていくうちに、私はだんだん日本語にいつくしみのような感情を抱くようになりました

 

英語が「父なる言葉」とすれば、日本語は長年放っておいた「母なる言葉」でした。

 

日本人だからといって、自然に国語が流暢に話せたり、達意の文をつづれるわけではありません。しかるべき訓練が要ります。通訳者をめざされる方には、人並みすぐれた国語力がなくては、けっしていい通訳はできないことをあらためて思いおこしてほしいのです

 

英語から国語に通訳する場合、単語の辞書的な置き換えに過ぎない程度の通訳ではなく、英語の発言の「意味 (sense)」を国語話者に理解できるように置き換えて、表現しなければいけません

 

英日通訳で、英語の原発言 (an original statement) に最も近い意味(sense)を瞬時に見つけるためには、豊かな日本語力がなくてはできません。そしてプロの通訳者が取りあつかう言葉の領域は広いのです。

 

ここでいう「意味 (sense)」を少し説明します。

下の短い動画でインタビュアーとインタビューを受けている男性のやり取りを観てください。

(リンクを開くにはGoogle Drive [https://www.google.com/intl/ja/drive/download/] が必要です)

 

Video clip:

https://drive.google.com/file/d/1vE24uRAgQQ5vJY_Krg3P0joKEPZjHmcu/view?usp=sharing

 

Interviewer: Putin said time and time again, you know, he has implied and threatened to use nuclear weapons. Is he bluffing?

Interviewee: He does. Yes, he does. I think he meant to try to frighten us about not providing support...Nuclear war, the nuclear threat is not something he wants to act on.

 

まず学校文法の規範では、Is he bluffing? と尋ねているので、肯定の答えなら Yes, he is. となるはずです。ところが、ここでは He does. Yes, he does. と is ではなく does を使っています。なぜでしょうか。通訳をする時には、その「意味 sense」を捉えて訳す必要があるのです。

 

(プーチン大統領は核兵器の使用を示唆していますが) あれは脅し文句なのでしょうか

彼の脅し文句は常套句ですよいつも虚勢を張りますからね

 

インタビュアーは「今、脅し文句として言っているだけなのか」と尋ねたわけですが、インタビューを受けている専門家は、「今だけではなくて、プーチンという人物はいつもそうだ」と言いたいわけです。だから「動詞の現在形」を使っているわけです。

 

Senseというのは「発言の本義」と理解してもらっていいわけで、「本義」を捉えて日本語にすれば、どう通訳するべきかを瞬時に判断できないと、正確でわかりやすい通訳にはなりません。勝手な意訳 (arbitrary translation) とは違います今のようにそう訳するべき「根拠」がなければいけないのです。国語力がないとそれさえわからなくなります

 

元通訳者であり、英語教育の専門家である鳥飼玖美子教授は上記の『ことばの教育を問いなす』の中でこのように述べておられます。以下引用。

 

「どれが正しい訳か良い訳かというのは、翻訳や通訳の対象が、文学作品なのか教科書なのか技術書なのか、演説なのか対話なのか交渉なのかなどの目的によります。目的によって、原文を可能な限り忠実に反映するか、読者や聞き手に取っての分かりやすさを追求するのか、訳出の方略が異なります」

 

この引用文にある通り、このように国語の適切な使い分けが求められるのが翻訳や通訳という仕事である以上、言ってみれば国語を必要に応じて自由自在に、目的に叶うようにあやつれる能力がなくてはならないのは理の当然といえます。

 

通訳にはサイト・トランスレーションという方法があります。略して「サイトラ」と呼ばれています。

 

大きな会議や講演会などで、同時通訳をする場合は、通訳者はたいてい事前にスピーカーから原稿をもらって準備をします。

 

私が運営しているイクサス・インターナショナ(https://interpreter.co.jp/) でも、コーディネーターを通して、発言者にはできるだけ原稿の提出を求めるようにしています。スピーカーと通訳者の協力関係が良好であればそれだけいい結果になります。

 

主催者は高いお金を払って、講演者を日本に呼んで、講演をしてもらいます。その講演を成功させるためには、いくら通訳者ひとりが有能であっても、依頼者や講演者の協力が得られなければ、満足のいく結果にならないことがあります。そうなれば聴衆の方々もがっかりするだろうし、講演者を含む関係者全員にとってたいへん後味が悪い結果になります。

 

ディスプレを見ながら話す講演者

 

発言者からもらった原稿を見ながら、発言をヘッドフォーンで聴いて同時通訳していくのがサイト・トランスレーションと呼ばれる通訳法です。この方法を用いれば、通訳者は事前に原稿を読んで準備できるので、誤訳の可能性は最小限に抑えられます。

 

ただし、現場では安心は禁物です。国際会議のオープニング・セレモニーの部分はまず変更はありませんが、予定されている講演者たちが話しだすと、かならずしも原稿どおりに話をするとは限らないからです。

 

予定よりも会議の時間が押してくると、あとの講演者は予定の時間枠を縮小して短めに話をすることが求められ、そういう場合、スピーカーは長い原稿を要約するような形で話しだすこともあります。

 

通訳者が事前に「ベタ訳」といって、原稿の英文をざっとひととおり翻訳しておいても、うまくいかない事態が発生することがあるのです。私は、ピアニストが楽譜を何度も読むように、原稿を丹念に読みます。しかし、そこに書かれている英文を日本語に翻訳しません

 

専門用語があれば当然調べますが、現場では原稿に込められている話者のメッセージ (声)を、文字をとおしてよく聴き取るように努めます。英日の場合は、その英語をどのような「国語」で表現すれば、メッセージが「等価」になるかをできるだけ慎重に考えます。サイトラといえど、やはり通訳の仕事は、発言者の発言をしっかり「聴く」ことです

 

以下にスクールのレッスンで、私がデモンストレーションした「サイトラ」同時通訳をつけますので、まず原稿を読んでから、私の同時通訳を聞いてみてください。サイトラとは、どういうものかがお分かりいただけますし、私の場合、原稿があっても聞こえてくる「音=声=メッセージ」に忠実に通訳するよう心がけています

 

[デモ・通訳]

(どなたでもお聞きになれますが、Google Drive のアプリが必要です)

 

通訳音声 link

https://drive.google.com/file/d/1bhR1Qter6ytMnSmeEwtwvrGaGpYRKM9S/view?usp=sharing

 

原稿 Link

https://1drv.ms/w/s!AmLJAIqziaJQkERQE4d4j9wi5cFM

 

次回につづく – Jay Hirota

 

 

日本人のための通訳レッスン(レクチャー編) Lesson 9

 

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